韓国語中級、苦戦した広島時代

こんにちは。

Umiのブログにいらしてくださり、ありがとうございます!

今回は韓国語中級勉強法について、どんな勉強をしたかについて

記憶を辿りながら、途中で起きた出来事もまじえて書きたいと思います。

 

韓国語を勉強したきっかけ」「初級の勉強法」も是非ご覧ください。

 

2006年8月、夫の初転勤地の広島へ引っ越しました。

家族、友人のいる東京と違って、知り合いが全くいない広島では時間の使い方が大きく変わりました。

小学校低学年の子供二人が学校へ行っている間の時間を有効に使って

「ここで韓国語の勉強をしっかりしなくてどうする!」そんなプレッシャーを自分にかけて勉強するようにしていたと思います。

 

広島では中筋という場所に住みました。

確か、広島中心地からアストラムラインという電車に乗って20分くらい??

マンションの裏手には細い川も流れていて、高速の乗り口も近く、

ショッピングセンターもそばにあって、山がすぐに目に入ってきて...

今思い出しても懐かしくとても良いところでした。

原爆資料館で感じたこと、宮島の美しさは今も忘れません。

 

広島での新生活が落ち着いた頃、今まで独学だった韓国語勉強ですが

そろそろ先生を探してみようかと思い、広島市内になる某大手語学スクールの

先生にマンツーマンで習うことにしました。

 

テキストは中級レベル。

期待を大きく持って週1で通い始めましたが、結果的には半年くらいでやめることに...。

理由は今でも覚えているのですが、「 コンギョロプタ」という中級レベルの

単語の用法を質問したところ、的を射た答えが返ってこなくて、先生に信頼感を持てなかったのが理由です。

月謝も安くなかったですし、やはり納得感、信頼感なしで続けようとは思えませんでした。

 

そのスクールをやめてから色々とネットで調べた結果、

京都にある韓国語学校「インター語学塾」で作っている韓国語通信教材を

見つけて、それを受講するようにしました。

もう10年以上前のことなので今も同じ通信教材があるかどうかわかりませんが、これはとても勉強になりました。

 

当時ですが、毎月教材が届いて課題をこなして郵送で提出して...と勉強しました。

CDもついていて、単語力や文章を読む力も少しずつアップしました。

 

その頃から、勉強を兼ねて毎日8行くらいの日記もつけ始めました。

たった8行とはいえども、韓国語で日々の出来事を綴るのはちょっとした日常の表現の勉強になりました。

 

実は昨日、本棚でふと目について当時の日記を取り出して超久しぶりに読み返してみたら当時の生活のこと、思っていたこと、周囲の方々の優しさが書いてあって涙しながら読みました。日記ってつけておくと後で読み返セテ良いですね。

ただ、今読むと韓国語の文法や言い回しでちょっと気になるところも沢山見つけてしまいました、苦笑

 

そのような感じで広島では通信教材、日記つけ、NHKラジオ講座、ハングル検定の勉強をしていました。今思うと机上の勉強ばかりで、喋る相手がいなかったことが私の勉強法の弱点だったと思います。

 

広島では大きなスランプが訪れました。

ハングル検定準2級(中級レベル)合格を目指して勉強していましたが、受けても受けても合格できないのです。

東京にいた時に受けたのも含めて確か3回は落ちました。当時、合格率が低い準2級とはいえど3回落ちるのは精神的にきつかったです。

 

今でも思い出すのは、検定試験を受けた帰り道に、一人で広島風お好み焼き屋さんに入って日本酒飲みながら「今回も出来なかったなぁ」と一人反省会をしてました、笑

もしかしたら「もう韓国語の勉強、やめようかな」となってもおかしくない落ち込み感。

 

そんな時、泣きっ面に蜂と言わんばかりに、私にとってさらにとてもショックな事が起きました。

 

東京に住む母が脳出血で倒れてしまい、病院の先生から「車椅子生活になってしまうかもしれない」と宣告されました。とてもショックを受けました。

今まで当たり前のように元気で頼れる存在だった母が、逆に助けなくてはならない存在になってしまった事、それがある日突然起きるんだと知り、悲しみ以外の何者でもありませんでした。

 

遠くお見舞いに行くと、必死にリハビリを頑張る母の姿を目にします。

その時に「辛いリハビリに必死で取り組んでいる母がいる。ここで私が韓国語の勉強を頑張らないでどうする」と悲しみをバネにする感じで、涙しながらまた勉強を続けました。

 

私が韓国語の勉強を頑張る事で、入院中の母もリハビリを頑張って、そして少しでも元気になってくれるのでは?そんな願掛けのような気持ちがあったのかもしれません。

 

母は3ヶ月の入院でリハビリに取り組んだ結果、利き手ではない方の左手で色々な事ができるようになり(文字を書いたり、調理したり...)杖を使って何とか自分で歩けるようになって自宅に戻りました。

命が助かった事、記憶がしっかりしている事、お話も普通にできる事...に感謝しました。

 

そんな中で受けたハングル検定準2級、4度目にしてやっと合格!

やっと合格できた〜!そんな思いでした。

通信教材を使っていたとはいえど、まだ半独学状態でしたが、通信教材と検定問題集を勉強する事でやっと合格が叶いました。

 

さて、広島に住み始めて1年がたった頃、夫が今度は山口県宇部市への転勤を命じられます。

 

広島生活はとても気に入っていましたし、子供たちも学校を楽しんでいたので引越しの話を聞いた時は「え?広島を離れるの?」と不満でもあり、新しい場所への引越しは不安でもありました。

 

でも、新しい転勤先の山口県宇部市に引っ越す事で、私の韓国語勉強において

大きく実力をアップさせてくれる教室と出会うことになります。

 

そんな教室に出会えることも知らず、不安な気持ちで引越しの準備をしていたのを思い出します。

 

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。